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8月15日(木)


終戦記念日らしいです。
テレビで「正義の戦争はあるか?」と言うアンケートをやっていました。
とても簡単に答の出せる問題ではないですね。
でも私にとって答えは簡単です、「ない」です。 

アメリカで起きたテロ事件と報復戦争に関しての問題ですよね?これは。
無差別のテロに対して戦争で報復に出たアメリカ・・・
アメリカはもちろん正義を主張した。
アフガニスタンもまた自分達の正義を主張した。 

当時日本でもこの報復戦争について多くの議論がでました。
ちょっと難しい問題だと思います、報復と言う行為自体は
許されない行為であることは間違いはないと思います、しかし、
しかるべき措置をとらねば、第2、第3のテロ事件が
起こる可能性もあります。それはまた多くの被害者が生まれ、
そしてそれはさらに大きく他の国にも拡散する恐れもあったとはずです。 

問題なのは「正義」と「戦争」
この二つを明確に定義しきれないことにあります。 

「正義」正しい意義、公平、人が行うべき正しい道等が言葉の意味。
ただ、これは世界レベル、社会レベル、国家レベル、個人レベルと
それぞれの正義があって、見方によっては正義でもあり正義でなくなる、
宗教戦争や独立戦争なんてのは代表的だ。
たいがいの正義は勝手に作り出した価値観の幻でもある。  

「戦争」・・・たたかい、武力による国家間の闘争。
現在では主に国家間の闘争と言う意味で使うことが多いようです。
これだって世界レベル、社会レベル、国家レベル、個人レベルまで
いろいろな争いがある。同じ行為であっても、
個人レベルで見たときと国家レベルで見た戦争は違う。 

だから「戦争」が問題なのではなく
「戦争のやりかた」が問題なのだと思う。

人は時として争わなくてはならない時がある、
自分なりの正義をそれぞれが信じているからだ。
先にあげた宗教戦争や独立戦争が良い例だ。 

例えば独立戦争は「正義の戦争」とは言えないだろうか?
例えば宗教戦争は「正義の戦争」とは言えないだろうか? 

どちらの戦争にも正義はある
(ただしあると思いこんでいるにすぎない)。

見る人によってはまったく正義なんてのはない、
でも、きっとそんなものだと思う。  

だから「正義の戦争はあるか?」の答えは「ない」。
もしそんなものがあると思うならそれは幻、
きっとテレビの見過ぎだと思う。  

私は戦争自体を容認するつもりはこれっぽちもない。
どんな理由があるにしろ戦争は戦争で
まったく関わりのない人が死ぬことに変わりない。
まったく関係ない人間に認識できることは
まったく関わりのない人が死ぬという事実だけだ。 

戦争自体を容認できないただひとつの判断理由は
自分が戦争にまきこまれたくないと言うことだ。
とても簡単だけどきっとみんな(?)同じ事を思っている
(自分勝手なワガママだ)。

それが一つの暗黙のルールで、だから戦争に反対だ、
そこに正義があるとかないとかは別問題。 

ただね戦争反対のエゴあるならば、
戦争賛成のエゴがあるもの至極と当然のことなんだけどね。

 実は戦争にもルールがあるらしいよ
(降伏者の殺傷、無防備都市の無差別攻撃、禁止兵器の使用など)。
誰が決めたんだろうね?、
つまりそれは戦争を容認してると言うことだよね?
そして戦争では何故かそのルールを守る・・・・
つまりゲームのようなものなのだろう・・・・。 

だから「戦争」が問題なのではなく「戦争のやりかた」が問題なの。 
子供同士の喧嘩だって同じでしょ?


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